臨時国会でTPPの国会批准が狙われようとしているなか、農家の声や実態をつかみ、批准阻止、農業と農村をまもるたたかいに活かそうと「農業者アンケート」がつくられました。全戸配布や訪問対話などで活用し、今後予定されている政府交渉や議会活動などに生かしたいと思います。
昨晩は風がなく、寝苦しい夜でした。夏バテになりやすい時期だとおもいます。健康に注意し、今日も一日頑張りましょう!
只今松江に向かって車中です。電車で。若い女性の声で賑やかです。合研に向かう保母さん達のようです。勉強して繋がって頑張って欲しいなあ。もちろん私も。
今日は終戦71年の記念日。鳥取駅前の合同宣伝のあと、お昼をはさんで地元5カ所で宣伝しました。支部の皆さんも一緒に立って下さいました。途中、ザーッとものすごい雨が降りましたが、傘を買った途端止んでしまいました。こんなものですね。
71年前のこの日を境に日本は大きく変わったのだなあと思うと、改めて特別な日だと思いました。これに匹敵するのが、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故ではないでしょうか。日本人の意識、考えに大転換をもたらしたことは間違いありません。戦後生まれの私には想像するしかありませんが、その原点をしっかりと心に刻む日にしたいと思いました。
今日は、兵庫県新温泉町浜坂に、明日からは、米子と日野郡日野町根雨の墓掃除と墓参りです。
今日の朝ドラに平塚らいてうが登場、「人間はかわるのよ。戦争が終わって、平和が一番。おいしいおしるこが食べれる日常が大事」と。
新日本婦人の会の創立よびかけの一人です。新婦人しんぶんが紹介しています。
今日は、71年前に米国が長崎市に原子爆弾を投下した「ナガサキの日」。正午からJR鳥取駅で原水爆禁止鳥取市協議会で街頭宣伝と署名活動を行なった。3日前の「ヒロシマの日」に続く活動です。
今日は4日から広島市で開催された「2016年原水爆禁止世界大会・広島大会に参加した人が、核兵器廃絶を求める被爆者の訴えに賛同する国際署名へのお願いのスピーチをしました。
署名行動に21名が参加し、外国人旅行者・市民などから77筆のサインが寄せられました。(角谷敏男市議のFBより)
鳥取市は昨日38度の猛暑でした。今日も朝からモーレツな暑さです。南スーダンでの自衛隊駆けつけ警護の問題一つとっても、暑いなんて言ってられません。朝宣伝がんばります。
とにかく強烈な暑さでした。今日はヒロシマの日、原水爆禁止鳥取市協議会は核兵器廃絶の宣伝・署名行動には各団体から延べ20名が参加した。通行する市民から56筆の賛同署名が集まった。(左が岩永安子議員です。)高校生が協力的でした。
私も1年ぶりに訴えて、胸と背中は汗びっしょりだった。(左の真ん中)「自分が生きているうちに、核兵器を全てなくしてほしい」との被爆者の強い思いに応えて核抑止力政策と核保有国と日本外交の転換が急がれる。核兵器廃絶の世論と運動をもっと広げていきましょう。(角谷敏男市議のFBより)
国安にある有隣荘の庭園が無料公開中です。ちょっと立ち寄って、しばし、静かな時間を過ごしました。米原省三翁が晩年愛した憩いの場所だそうです。シイの木は樹齢200年以上だそうです。
詳しくは→http://yurinsou.com/info
いよいよ、明日です。
わたしも、記念講演を聞いて、パワーアップしてがんばりたいと思います。
ぜひ、ご参加ください。
毎朝、「とと姉ちゃん」を楽しみに見ています。ドラマの最後に家族の写真が紹介されますが、わたしの場合、こんなのかな。
50年以上も前になりますが、お父さんと妹です。
先日、わが家に子どもたちがそれぞれ孫をつれてやってきました。
そして、にぎやかに晩ご飯をたべました。狭いわが家になんと10人。娘の長女は、この写真の娘そのまんまでした。血はあらそえないものですね。29年前の写真です。
東京都知事選残念でした。知事選も参院選も冷静に、正確に総括することが大事だと思いました。朝宣伝がんばります。
鳥取市は気温35度が3日連続です。その3日間、支部の
お野菜ももらってよかった!
伸び放題に任せているミニトマトだが、毎日赤くなってく
「・・・・ひとつだけ、ひとつだけ今日は時間もありますので個人的な話をさせてください。やや個人的な、私の父親の話。
私の父親は俊雄といいます。その俊の一字をとって、私は長男ですので俊太郎という名前がついたんです。これが俊太郎のいわれでございますが、父親は私が生まれたときは、九州大学の精神科の病棟に入院していました。私と母親は産婦人科に入院しておりました。そこで私が生まれました。
なぜかといいますと、私の父親は大学を出て企業に入って、現場にきたところいろいろないじめにあい、そこで、本来持っていたんでしょうね、神経症を発症しました。
そのためにお寺に入って修行をしたり、いろいろなことをしてなんとか治そうとしましたけれども、一生、やっぱり病は治ることはなかったんですね。
それで、私はそういう弱い父親のようにはなりたくないと思って、私の父親は73歳で亡くなったんですが、亡くなるまでほとんど話をしておりません。父親と背中を向けて生きてきました。
しかし葬式の日に、あるグループが弔辞を読みにやって来ました。それは心身障害者、精神障害者と身体障害者のメンバーが、私の父親の霊前で弔辞を読んでくれました。
私はちょっと意味が分からなくて、帰って母親に聞きました。「あれは何なの」と。そしたら母親が言いました。私はね、お父さんがいつ自殺するかもしれないとはらはらしながら生きてきたんだよ。今日のあれは、お父さんが最後にやった仕事、ひかり共同作業所、福岡は共同作業所の出発点です。全国に広がっていく最初のスタートです。ひかり共同作業所、つまり身体障害者、精神障害者、心身障害者の皆さんが、自分たちで共同作業所を作って、そこで物を作って売ると。そういう仕事を、今は全国どこにいってもありますけれども、初めて福岡で立ち上げたときの運営委員長、立ち上げ人があなたのお父さんだよというふうに母親に言われたんです。
そのとき私は初めて父親の人生が見えてきました。ああ、父親は自分が弱さを持っていたために、人のために、弱者のために自分の全身全霊をなげうって、自分の身体をなげうってでも助けに行こう、助けになろうと思って生きてきたんだなあということを、はじめて私はこのとき悟りました。
私はその後、その父親の血が私の中にも流れているということを知ります。だから私はこうしてここにいるんです。私は父親の、弱者、弱い人、そういう人たちにちゃんと視線を送り、ちゃんと手を差し伸べて、そしてその人たちの声を聞き、そしてそれに対して答えを出す。そういう仕事を私は任されたんだということを、今日、今ここで初めて私は申しあげます。ありがとうございます。
だから私は、単に都知事選に出て来たわけではなくて、私の人生がここに来るようにできていたんですよ。いいですか。私はここに立つべくして立っている。そう思っています。運命ですこれは。ありがとうございます。運命ですから戦います。」
「相模原で大変な事件が起こってしまった。亡くなられた方にお悔やみを、被害に遭われた方にお見舞いを申し上げる。事件の背景はまだ分からないが、自分と異質なものを排除しようという社会の空気と共通するものを感じるし、恐ろしいと思う。」
わたしも鳥取から電話かけしました。増田さんか鳥越さんにという女性は、「行政手腕はどうかしら?」というので「政策も手腕もばっちりです」とつたえました。声をかければひろがる感じです。さらにがんばります。
「安保法制いけん!廃止を求める大山町民の会」が鳥越俊太郎さんの政策に共感し、「推薦状」を作成。会員全員にとどけ、支援をよびかけることに。すばらしいです。
見渡す限りの人人人!23日の池袋での街頭演説。あと一週間、なんとしても鳥越知事を誕生させてほしい。私の担当の地域支部のOさんはさっそく東京にいる子どもさん二人に支持を頼みました。Yさんも息子さんに頼んでみるといってくれました。鳥取県からも、できることにがんばりたいと思います。
今日は原発ゼロの金曜行動。12人が参加して大きな声で〝原発はんたーい〟と訴えました。天国の小橋太一さんにもきっと届いたことでしょう。(岩永尚之さんのFBより)
写真を整理していたら、こんなのがでてきました。
小学校低学年年だと思います。
ウン十年前の私です。
みんなどうしてるかな。